あさの畑

プログラミングが好きな大学生のブログ。統計学や機械学習の勉強記録と、SIGNATE/Kaggle/AtCoderのお話。

世界の均一化・画一化は局所的な多様化がもたらした

東南アジア一周の1人旅で感じたことを少し書いてみたいと思います。

 

東南アジアの発展=世界のフラット化?

現在、東南アジアは想像以上にフラットになってきている。そしてこれからもどんどんフラット化は進んでいきそうだ。道はきれいに整備され、車やバイクが走っている。どこにでもコンビニがあるし、大きいショッピングモール(というよりデパートというべきか?)も作られている。ショッピングモールの中にいれば、ここは日本なのかタイなのかマレーシアなのかシンガポールなのかもはやわからない。

 

また、観光地において一番多い人種は「観光客」である。まあ、これは観光地なら仕方がないことかもしれないが…。東南アジアの観光地であれば基本どこででも英語と中国語が話されていた。観光地で働いている現地の人々の適応はほんとに速い。中国語しゃべっている人がなんて多いことか。かつては現地の言語だけだったのが英語も加わり最近では中国語も話される。話されている言語が多様になりつつある。自動翻訳技術がより発達すればもっと多様な言語が使われるだろう。世界中であらゆる言語を使うことができるようになるのかもしれない。

 

そして食の均一化が進みつつある。中華やパスタをどこででも食べることができるのは常識(質の問題は残っているだろうが…)。タイのショッピングモールではラーメン屋があり、味噌ラーメンを食べてみたが、安くておいしかった。タイの屋台では寿司が並んでいることもある。同様に日本国内でも各国の料理を味わうことができるし、もしかして現地よりもおいしいのかもしれない。つまり、どこにいてもその時に食べたいものを食べることができるようになってきた。

 

局所的に進む多様化

これらは、各国や各地域の中では文化や食が多様化していると言えるだろう。逆に言えば多様化した状態に均一化しつつあるということではないのかな?これがいいのか悪いのかはわからないが、そういうこと。

 

不思議だ。国や地域といった局所的な範囲において多様化が進んでいけばいくほど多様化した状態に均一化・画一化していく。どこにいても同じような生活が送れるようになる。海外で暮らそうと思ってもハードルは低いし、国境の壁はほとんどないといってもいいのかもしれない。

国や地域で考えるというより個人単位で考えることが大事になってくるのかなあ。

 

 

多様化した日本から海外に行く意味とは

では、最後に。

わざわざ海外旅行に行く意味はなんだろう。

 

長年にわたって形成された自然がもつ臨場感?スケール感?迫力?

それぞれの街が持っている独特の雰囲気?空気感?

 

確かに、現地に行って自分の目で見てみる価値がある!とも言えるが、別にインスタで検索してもある程度のことは感じ取ることができるのかもしれない。旅行雑誌で調べていたものがインスタに変わっただけで、そもそも旅行というのは頭の中にあるイメージや知識と実物とを照らし合わせる確認作業なのかもしれない。

 

う~ん、結局、

なにがヒトを旅へと駆り立てるのかはわからないけど、、、

僕は行ったことがないとこには行きたいし、この目で見たことがないものは見たいし、食べたことがないものは食べたいです。

 

 

こちらにも東南アジア一周の1人旅について書いてます!

www.asanohatake.com